読書ノート: 死刑 その哲学的考察

8 2月

職場でも家庭でも、複数の人がいれば考えがぶつかることがある。ごく日常的な光景だ。そのとき、私たちはどのように折り合いをつけているだろうか。互いの主義・主張がぶつかり合うだけで平行線をたどることはないだろうか。

人によって考え方が違うのだから、考えがぶつかるのは当然だ。しかし、人間が集まって集団を構成している以上、全員が従うべき方針を決めなければ、行動することも秩序を維持することもできない。

異なる主張に、どのようにして折り合いをつけるべきだろうか。

「考え方は人それぞれだ」と相対化していては、絶対に合意にたどりつかない。政治や外交の場では、自身の主張を通せず、相手の主張に反論できないことになる。異論を挟む余地のない、普遍的な座標軸が必要だ。

その座標軸が求められている問題の一つに、死刑制度の是非がある。

死刑は必要か、廃止すべきか。

死刑の是非は、社会秩序にまつわる問題である。被害者や加害者だけでなく、広く社会の構成員まで、さまざまな立場の人々が関心を持っている。視点が多様だから、死刑の是非は単純に割り切れない。

それぞれの立場にある人たちは、どのような視点から何を主張しているのか。その主張にどのように向き合うか。多くの主張は道徳や感情に基づいている。個人の感情はともかく、道徳は普遍的な座標軸になり得るだろうか。

著者はカントの道徳論を援用する。カントの道徳論の基盤にあるのは、人間の脳に備わる返報性である。カントによれば、道徳の判断内容は相対的である。すべての人が同意できる道徳観は同等性の原理*だけであり、それ以外の点で道徳観が一致することはない。

つまり、道徳観は信念や信条と同じ次元のものだ。その道徳観を根拠として死刑制度を論じることはできない。別の角度から考える必要がある。

死刑の是非は複雑な問題だ。複雑な問題だからこそ、それぞれの座標軸を一つ一つ丁寧に取り上げ、筋道立てて検討する。先人の論考を参照しながら、物事を根源まで掘り下げる。自身の感情を他者に投影し、その他者を利用して自身の主張を通そうとすることも戒める。

死刑制度という大きな問題を扱いながら、本書で展開される論考の過程は明快だ。読みながら考える。読み進めると疑問がわく。矛盾に気づく。その矛盾から真実が導き出される。まるで目の前で講義を受けているようだ。

取り上げられているテーマは死刑の是非だが、哲学的な論考の方法は死刑以外の問題にも適用できる。本書は、問題に取り組むときにどのような姿勢で臨むべきか、基礎的なことを教えてくれる。

* 「同等性の原理」とは、他人に危害や損害を与えたものは、それと同等の不利益を与えられることで処罰されなくてはならない、という原理である (本書p.162より)。

【書誌情報】
書名: 死刑 その哲学的考察
著者: 萱野 稔人
出版元: 筑摩書房 (ちくま新書)
出版年月: 2017年10月


有限会社トランスフロンティア
名古屋で通学制の翻訳講座を開いています。詳しくはスクール案内へ。
理工系専門書、IT・電気工学・その他分野の英→日翻訳を承っております。2001年創業以来1000件以上の翻訳実績。お見積もり・お問い合わせはこちらからどうぞ。