随筆: 緑地

11 4月

都会の片隅で人が訪れるのを待つ、木がまばらに生えた公園。

校舎があった場所は、そんな面持ちの緑地に整備されていた。

高校生だった私が毎日通っていた校舎は跡形もなく取り壊されていた。

教室も実験室も消えていた。かつてよく行った職員室も消えていた。生徒の間でまったく存在が知られていなかった校長室も消えていた。

そう。校舎の隅っこには校長室があった。廊下の突き当たりにある部屋。西側には植栽をはさんで道が通っている。多くの生徒が教室移動や部活動のときにその道を通るが、そこに校長室があると知っていた生徒はどれだけいただろうか。

かくいう私も、そこに校長室があることは知らなかった。一度担任の先生に呼ばれて校長室に連れていかれるまでは。

別に悪いことをして呼び出されたわけではない。校長の通勤経路がたまたま私の通学経路と重なっており、毎朝早足で校長を追い越していく私を見て「うちの生徒だ」と関心を示したか、学業を目に留めたか、そんな理由だったと思う。

生意気盛りで怖いもの知らずの私は、校長もただのおじさんとしか思っていなかった。いつもの調子で、ときにタメ口さえきく私の隣では、担任がソファーに浅く腰かけて妙にかしこまっていた。普段教室で見慣れたあの表情はそこになく、いつの間にか神妙な顔を取り出して顔面に装着している。こんな神妙な顔をどこに隠し持っていたのかと、内心おかしくて仕方なかった。校長室を出た後に、いつものあの顔で「お前なぁ、冷や冷やさせんな。ちょっとはわきまえろ」などと言われたような記憶がある。

毎日毎日退屈な学校生活としか思っていなかったあの頃。

早く縁を切りたくて仕方なかったガッコーというもの。

私が通った校舎は、私が否定し続けた過去を丸ごと抱えて解体されていた。

私が通った校舎は、私がどれだけ過去を否定しようとも、その執拗な否定をはねのけて、最後の最後まで、私の代わりに大切に大切に思い出を守ってくれていた。私が振り回す (やいばの先を、何ひとつ文句も言わずに、その鉄筋コンクリートの躯体で受け止めてくれていた。それは、子供から憎まれても憎まれても我が子を受け止め続ける親の姿であった。

過去を否定することなどできない。そのことに今さら気づいてうろたえる私は、この場所で三年もかけて何を学んだのだろうか。刃を振り回すしか術を知らない私を、あの先生方はどのような心持ちで送り出したのだろうか。

ぽっかりと空いた緑地の中で、私の心は行き場を見つけられなかった。私の心は、わき上がる過去に押されるままに校舎の跡地をさまよい続けるしかなかった。冷酷なまでに青い草の上を、わずかな手がかりを探して。

(2016年4月11日)